価格経済学P≠MC
―マクロ経済学のミクロ的基礎づけ―
清藤士塾 渡辺
要旨
本論文では、ミクロ経済学で取り扱う需給理論の均衡価格導出理論に、売上という概念を導入することで現実的な理論への拡張を試みる。これは価格の付く、あらゆる製品の値付けを可能とする。さらに、マクロ経済学のミクロ的基礎づけを実現する最後のピースとなる式、つまり絶対的市場価格式の導出と適用例、並びにその式のこれまでの経済学の知見との整合性について考察する。
序章
実世界において、価格を求めることはできるのか。経済学を勉強してきた中で、常に頭にあった問題である。これに答えを出す形となったアイデアは会計学の基礎知識から得られた。このアイデアは経済学が科学として完成する序章になるかもしれない。そんな期待を胸に以下から構成される研究成果を記したい。
第二章では、この研究の成果とする価格式を紹介する。この価格式により従来の経済学の矛盾を解消したい。
第三章では、絶対的価格式の導出を行う。条件付きで、単純な方法を用いている部分もあるので本論考の読み手の精査を得たい。
第四章では、絶対的価格式の根本的な意味について考察したい。完全競争市場における利潤ゼロ価格が重要なポイントとなる。
第五章では、マクロ経済学のミクロ的基礎づけということで、絶対的市場価格式をマクロ経済学に適用する例をみる。フィッシャーの交換方程式など驚くほどの共通点が発見される。
第六章では、ミクロ経済学の妥当性について考えてみたい。ミクロ経済学とマクロ経済学は本質的に原理が異なるのではないか、と分析する。
終章では、本論文を通じて本当に伝えたいメッセージを記す。
第二章 絶対的市場価格式とは何か
国の違いはあるが、大学に入り、ミクロ経済学で最初に学ぶのは需給理論ではないだろうか。需給理論は現実の人間心理に根差した精緻なモデルを提供している。つまり、消費者は効用を最大化するために行動し、また供給者は利潤を最大化するために行動する。しかし、考えてみてほしい。効用は測定できる定量的なものだろうか。供給者は生産した製品が全て売れると考えているが果たして現実的だろうか。残念ながら、これらの前提は現実的とは言えない。つまり、現実では効用をいちいち測定して値付けすることはほとんど不可能だし、供給者は売れ残りが存在するため、「供給は必ず需要される」という前提であるセーの法則を受け入れられない。
しかし、これらの現実を上手く組み入れたモデルの創出は可能である。これは会計学の知見を取り入れることで達成される。つまり、次の式となる。
収益-費用=利潤 (1)
これは一般的な会計学の知識といえる。これを経済学で表現するには、記号を使用すると分かりやすい。ここで、次の式を前提とする。
収益=売上高=pAx=価格p * 売上数量Ax (2)
費用=xMC=生産量x * 限界費用MC = xAC = 生産量x * 平均費用AC (3)
限界費用MC=平均費用AC (4)
この前提の下で(1)式を表現すると、次のようになる。
pAx – xMC = π(5)
さらに、(5)式を利潤π=0として書き換える。
p=xMC/Ax (6)
(6)式こそ、冒頭で述べた最後のピース、つまりミクロ経済学とマクロ経済学の橋渡しをする式、絶対的市場価格式(以下、絶対式)となる。改めて、この式を解説するとp=価格、x=生産量、MC=限界費用、Ax=売上数量、となる。ただし、この式の詳細な解説については第4章に譲る。ミクロ経済学では売上数量Axという概念は見慣れないかもしれない。しかし、これは需要予測に使用できる、いわば達成された効用量(Achieve x)であり、需要の大きさを可視化する試みの一環である。
この基本式は、パン、自動車、水道サービス、冷蔵庫、果ては株式や為替の価格まで値付けが可能となる。ただし、為替はここでいう基本式、絶対式では値付けできず、相対的市場価格式(以下、相対式)で取り扱う分野となる。
相対式とは第一製品の絶対式を第二製品の絶対式で割ることによって求められる。これは次の式となる。
(7)
絶対式も相対式も他の製品との比較であるという点では相対的である。つまり、絶対式は貨幣と製品の比較といえる。しかし、単体で価格を求められるか。あるいは価格を求めるのに二製品の比較が必要であり、絶対式とは異なる価格表示の形式を採用するかで、絶対式と相対式の分類をしている。
第三章 絶対的市場価格の導出
本章では(6)式、絶対式の導出過程を述べる。
奥野(2008)の「利潤は収入と費用の差π(x) = px – C(x)として定義することができる」という一文は供給曲線の根幹に関わる部分である。これは一見すると絶対の真理でもあり、不変の原則であるようにも思える。
しかし、先ほども述べたが、この生産量xは必ず全て売れるのか。または、売れる部分だけを考慮して売れ残りの部分は除外されているのか。いずれにしろ、現実的ではないと思うのは私だけではないはずである。そして、その事こそ供給曲線を現実離れした机上の空論と化してしまっている要因でもある。
さて、ではどうすれば現実に近づけることができるだろうか。ここで、上述したAxという概念を導入したい。Axとは、つまり売り上げた数量である。注意しなければならない点は売上数量Axと、生産量xは区別しなければならない。Axは直接にはxを支配しないが、xはAxを直接支配する。Axが増えれば、それによって次の製造段階でxは増えるかもしれないし、減るかもしれない。一方、xが増えれば、その段階でAxの上限も変化する。つまり、Ax(x)とするのが正しいであろう。また、利潤πを決定する要因はpxではなく、pAx(x)であるのは、現実を考えれば経験則で妥当といえる。従って、
π(x)=pAx(x)-C(x) (8)
が新しい利潤式として定義できる。
また、(8)は式として分解することができる。つまり、右辺第一項の売上高pAx(x)を価格pと売上数量Ax(x)の積に、右辺第二項総費用C(x)を平均費用ACと生産量xの積に、書き直せる。
pAx(x)=p・Ax (9)
C(x)=AC・x (10)
ここで、(9)を需要点、(10)を供給点とする。線ではなく点なのは、変数に比例する直線でなく、曲線上の決められた一点を示すからである。ある時点と比べて次の時点で、需要点が一定なのに供給点が高くなるのは、費用が多くかかるようになったか、生産量を増やしたがその分が全く売れなかったか、のどちらかといえる。この場合、需要より供給が大きく、採算を取りたい場合には価格を上げるか、売れ残りが多くある場合には供給量を減らすか、の必要がある。逆に、供給点が一定なのに需要点が高くなるのは、価格が上がったか、売上数量が増えたかのどちらかである。
さて、横軸生産量xに対する縦軸売上数量Axについての第一象限のグラフを想像してみてほしい。このグラフには売上数量の曲線と、45°線がある。この45°線上では直線上の如何なる点もxとAxが一致、つまり全ての生産物が売れた状態を指す。45°線より下に売上数量の曲線上の点があれば売れ残りが、上に売上数量の曲線上の点があれば予約が、あることを意味する。
費用と数量の関係のグラフを描く、伝統的なミクロ経済学の手法では縦軸の単位に金額を、横軸に数量を採用する。従って、先の想像上のグラフは縦軸を価格p倍することで、縦軸を売上高に変換し、費用曲線を書き込めるようにできる。
それでは需要点と供給点が一致した需給点または均衡点(6)の式を導出したい。まず、新古典派経済学で仮定される、企業目的としての利潤最大化である。つまり、企業としては(8)式の利潤π(x)を最大化したい。また、そのためにはC(x)を最小化する必要がある。これらの考え方は奥野(2008)にあるように従来のミクロ経済学のテキストを踏襲するものとする。そこで、(8)式を生産量xについて微分し、限界利潤Mπを求める。この限界利潤は0より大きいと生産量を増やすことで新たな利潤を得る機会があり、0より小さいと生産量を減らすことで利潤を得る機会がある。従って、限界利潤Mπ= 0のとき全体の利潤が最大となる。以下で式をまとめる。
(11)
(11)式は二つの方法によってまとめることができる。一つは、
p=MC/MAx (12)
である。こちらは普遍的に使える絶対価格式である。一方、(6)式を求めるための供給式が必要となる。こちらは少しテクニックがいる。
(11)式のAxは現実的に直線であれ、曲線であれ、その瞬間の売上数量の点の集合として描き出すことはおそらく不可能だろう。ある製品の、ある瞬間の売上数量はグラフ上の一点としてしか表せないからである。従って、グラフの原点から、その一点までの近似としてAx直線を描き出す試みは決して愚かではないはずだ。実際、ある瞬間の、生産量が異なった場合の売上数量はどの点になるかは、意味をなさない。つまり、既にその瞬間は戻ってこず、原点と実際の売上数量の点こそ意味がある。これは第二項の総費用について言えば、固定費が存在せず、全て生産量に比例した可変費で表されることを意味する。つまり、平均費用AC=限界費用MCである。
この仮定の下、直線Axをxで微分することはAxをxで割ることを意味する。そこで、(11)式は、
p=xMC/Ax
となる。つまり、(6)である。
また、ここで注意してほしいことがある。新古典派経済学では消費者は効用を最大化するために行動すると仮定する。その場合、伝統的なミクロ経済学のテキストでは、無差別曲線という、同水準の効用を表す曲線を用いて需要曲線を導く。これは効用が測定できれば素晴らしい理論である。
しかし、先ほども述べたが、現実では個人の効用を測定するのはほとんど不可能であり、代替案が求められる。そこで、売上数量という消費者の嗜好の結果を表す概念を用いる。つまり、伝統的な新古典派経済学の人間観を参考にすれば、消費者は売上数量(効用)を最大にするように行動する、と仮定できる。これは、消費者の嗜好に合致してこその売上数量という点に注意してほしい。この点に関しては第四章で再び触れる。
第四章 絶対的市場価格式の考察
本章では、絶対的価格式の考察を行う。この絶対的価格式は利潤ゼロ価格でもある。以下は、その証明である。
まず、第三章の式の意味を考えてみることにする。(6)式であるが、これは「取引製品1単位当りの費用」を意味する。ここで、再び(8)式を参照したい。この式をpを求める式に加工すると、
p=(π+C)/Ax (13)
となる。この式の価格に対する、費用と売上数量の分析を試みると、他の変数を固定して費用が増える(減る)と価格が増える(減る)。また、売り上げ数量が上がる(下がる)と価格が下がる(上がる)。
ここで、(13)式を利潤ゼロとして表現した式である、(6)式を文字により表してみると、
p=費用/売上数量 (14)
となる。さらに、私的自由裁量であるが、費用10ドル、売上数量5個とすると、(14)式のpは2ドルとなる。これは(14)式の両辺に売上数量Axを掛ければ、売上高と費用が一致することを意味する。つまり、ここに利潤は存在しない。もちろん費用には材料費だけでなく、人件費などの諸々が含まれる。
次に、(6)式にx = Ax = 1を代入してみる。すると、p = MCであることが分かる。これは伝統的なミクロ経済学の供給曲線を導く式である。つまり、「この理論はその視点が供給者側にフォーカスされている」。そもそも、この理論は(8)式によってほとんど完結している。この式に売上数量Axという新たな視点を追加したのが本論稿の要なのである。
さて、さらに新たな視点を提示したい。(14)式によれば、売上数量が増えれば(減れば)価格は下がる(上がる)ことになる。しかし、よく考えてみてほしい。日常生活において我々が商店等で買い物をするとき、これと逆の現象を目の当たりにする。つまり、売上数量が増えれば(減れば)、価格は上がる(下がる)のだ。伝統的なミクロ経済学の需給曲線もこの考え方から出発している。
このような考え方は利己的人間像を仮定する新古典派にとって当たり前のことだろう。人間は自分の利益を最大にするために合理的に行動を選択するのだ。しかし、(6)式が正しいとすれば、真理は真逆といえる。
一般的には、売上数量が増加する人気製品は価格をさらに下げることでますます売上数量が増加するだろう。それは生産者の価格競争力と市場シェアを引き上げる。さらに、需要者の効用最大化問題、つまり売上数量の増加は価格を押し下げ、消費者の利益となる。また、逆に売上数量が減少する不人気製品は価格をさらに上げることで採算を取る。この不人気製品の、売上数量減少と価格上昇が続けば、やがて不人気製品は市場から淘汰されていく。つまり、挽回するには売れるための製品の有益な変化(差別化またはイノベーション)が必要となるのだ。
つまり、完全競争市場における利潤ゼロ価格は市場原理に基づく、最も効率的な市場を創造する。一方、従来のミクロ経済学が想定する需給原理は人間心理に根差したものといえる。これは絶対的市場価格を前提とする市場原理が物理のような自然科学として成立する一方、従来の需給原理を前提とする人間心理が心理学のような人文科学として成立することを示唆する。
現実の市場では、恐らくこの二つの力によってバランスがとれると同時に、非効率がなかなか改善されないのであろう。株式や為替などの完全競争市場に近い市場は市場原理が強いのかもしれない。一方、食品などの人間が恣意的に価格付けする市場は人間心理が強いのかもしれない。
もちろん、利潤が増えないのでは企業はインセンティブを失うという指摘もあるかもしれない。しかし、人件費や利潤等は費用に含まれている。業績がよければ、従業員の給料を上げたり、株主への配当を増やすことは可能なはずである。もちろん、それによって価格は増加する。取り組みとしては、絶対的市場価格式に利潤項を設けるのもいいかもしれない。
さて、今一度需給点について考えてみてほしい。
伝統的なミクロ経済学の需要曲線は効用という個人の価値観によって形成されたものである。そのため、例えば新しいTVコマーシャルを見たという、ちょっとした刺激によって直ちにその価値観は変化するだろう。つまり、それはどこまでも理論的であり、観念的である。一方、伝統的なミクロ経済学の供給曲線は需要の動向から完全に独立している。例え最も利潤を最大化できる供給量を見つけたとしても実際の需要と関係ないのでは意味がない。換言すれば、生産者は流行など、社会の流れにも注目している。
一方、本理論では売上数量Axという概念を用いることで、需要点は物理的客観的なデータを使用でき、供給点は需要の表れを考慮したものとなっている。
ただし、本理論での価格付けは需給同時決定的である。つまり、その性質上、供給者は過去(一期前)の売上データを用いて、その売上で利潤が最大になる生産量を製造し、その生産量と限界費用と売上数量の情報の下で価格を計算する。そのため、前期間の売上数量などの情報を手にした時点で全ては決定している。従って、需給同時決定的ではあるが、前期間の状況を重視しており、今期の状況と多少の誤差が生じるかもしれない。そういう意味では、売上が一瞬で急激に変化するような製品では実際を反映しない可能性を含んでいる。また、弾力性といった概念を考慮することも必要となってくる。
第五章 マクロ経済学のミクロ的基礎づけ
本章では、従来のマクロ経済学と、本理論の絶対式との整合性について考察する。マクロ経済学の重要なテーマに物価がある。物価に関する式の一つとしてフィッシャーの交換方程式がある。この式について、絶対式との恐るべき共通点を見出すことができる。それぞれの式を並べてみよう。
フィッシャーの交換方程式
MV=PT
M : 貨幣量(M2)
T : 1期間における財・サービスの取引量(実質GDP)
P : 物価
V : 貨幣の取引流通速度
絶対的市場価格式
xMC=pAx
x: 供給量
Ax: 売上数量
p: 価格
MC: 限界費用
この式をそれぞれM=x、T=Ax、P=p、V=MCと置けば、両式は一致することとなる。最後のV=MCについてみると、両式が同じものなら物価Pの限界費用MCは貨幣の取引流通速度Vであることが分かる。
また、IS-LM曲線について考察してみる。IS曲線Y=C(Y)+I(r)+G+NX、LM曲線M/P=L(Y, r)となるので、フィッシャーの交換方程式にあてはめる。
MV=PT
M/P=T/V
L(Y, r)=(C(Y)+I(r)+G+NX)/V
M/P=L(Y. r)は貨幣の実質需要を表し、実質的な貨幣供給量を意味する。それを、GDP/貨幣の流通速度、と等価とすることで、等式は完成される。
このように、物価水準やIS-LM分析は絶対式を土台として考えれば、現実的に使用できるようになる。金融政策と財政政策の分析は改めて取り組んだ結果を報告したい。また、ある産業の労働者の平均賃金を考える際に、その産業全体のパイと、労働者数、潜在労働者数が分れば、その産業の平均賃金を算出できると考えられる。また、相対式を使用すれば売りが売りを呼ぶ金融危機も説明できるのではないだろうか。
第6章 ミクロ経済学は正しいか
私個人としてはマクロ経済学よりミクロ経済学の方が思い入れがある。理論構成も好きであるし、否定はしたくない。しかし、現実経済を考慮した場合、ミクロ経済学は部分的に正しくないのではないか、あるいは特殊な均衡ではないか、と疑念を感じる。
第四章で述べたように、価格経済学で、価格を構成する要因である、ゼロ利潤価格の部分は物理的であり、純粋に市場原理を表していると考えられる。第五章で取り扱ったように、ケインズ経済学がフィッシャーの交換方程式を土台とするIS-LM分析から成り立っているのであれば、ケインズ経済学は価格経済学と親和性が高い。つまり、売上数量が増えれば(減れば)、価格は下がる(上がる)、という価格経済学的な市場原理により現実経済を分析していることになる。しかし、本稿の副題でもあるが、ケインズ経済学にはミクロ的基礎づけがない。つまり、企業や消費者による、個の集合として経済を分析することができない。
また、価格経済学ではゼロ利潤価格を想定するが、利潤項を設けることも可能である。この利潤部分は人間により恣意的に価格付けされる部分なので、人間心理的であり、ミクロ経済学の市場原理と親和性が高い。もし、現実経済で人間が恣意的に価格付けを行っているのであれば、ゼロ利潤価格式は根拠がないといえるかもしれない。しかし、恣意的な価格付けであったとしても、利潤を含む価格、つまり収益が費用を超えている価格、を設定するなら、収益と費用が一致する部分(ゼロ利潤部分)には価格経済学の市場原理が適用されていると考えられる。それは物理学でいう運動の法則であるといえる。言い換えれば、価格経済学の絶対式は物理学の運動方程式と同じである。従って、マクロ経済学とミクロ経済学では市場原理の基本的な性質が正反対といえる。そのため、マクロ経済学をミクロ的に基礎づけることは困難なのである。
価格経済学により個々の企業の製品価格を求めると異なる価格となる。価格経済学では、厳密には、完全競争市場、独占的競争市場、寡占市場、独占市場の区別はない。なぜなら、価格経済学を用いれば、これらの市場の製品価格を同じ方法で求められると考えるからだ。そのため、ミクロの各経済主体はそれぞれ異なっており、その中の一つを代表としてマクロ経済を描くことはできない。つまり、マクロデータを集計値としてしか扱えない。ただし、ミクロ経済学とマクロ経済学で取り扱う主体は同じ方法により価格を求めることが可能になると考えられる。
また、一見すると絶対式は在庫という点で弱点を持つように見える。これは絶対式が在庫を想定しておらず、その価値を0として取り扱っていることに関係する。しかし、これは利潤項と同様に、在庫項を設けることで問題が解消される。つまり、会計学では以下のようにして価格に在庫を含める。
売上-(期首在庫+仕入れ-期末在庫)=π
期首在庫=S1、期末在庫S2とおくと、
pAx-(S1MC+xMC-S2MC)=π
p=(S1MC+xMC-S2MC+π)/Ax
ただし、利潤が存在せず、セーの法則が働く、需要超過完全競争市場では、以下のような条件となる。
S1+x-S2=Ax
S2-S1=x-Ax
従って、この条件ではP=MCが成立するが、利潤が存在したり、在庫が破棄されたりする状況ではP≠MCとなる。
終章 まとめ
絶対的市場価格式はゼロ利潤価格式である。ゼロ利潤であるため、現在のミクロ的需給理論とは正反対の値動きをする。つまり、需要が多ければ価格は下がり、供給が多ければ価格は上がる。しかし、これはゼロ利潤価格の範囲での話であり、実際の市場では「過度に」需要が大きければ値段は高くなり、「過度に」供給が大きければ値段は安くなる。これは、値動きに異なる要因、二つの要因があることを示唆する。つまり、市場原理と人間心理である。そして、異常事態、戦時中の食糧難などを除けば、現実の市場ではこの二つの動きがバランスして価格が決まるように機能している。
仮に、現実の市場が利潤の少ない完全競争に近い市場であり、その中の製品群を考察の対象とするなら、ゼロ利潤価格は経済を解き明かすのに大いに役立つはずである。ここで従来の需給理論の仕組みを絶対式で分析し、最後に一言述べておきたい。
p=xMC/Ax
p+Δp=xMC/Ax+π/Ax
Δp=π/Ax
価格が一定pで売上が増加すると利潤が増加する。さらに売上が増加すると、「人間」が価格を上げて、利潤はさらに増加する。「超過」需要は価格を上げる。
また、価格が一定pで売上が減少すると利潤が減少する。さらに売上数量が減少すると「人間」が価格を下げて、利潤はさらに減少する。「超過」供給は価格を下げる。
最後に一言。「人間は価格付けに、その合理的な根拠を持っているのだろうか。」
<参考文献>
奥野正寛. 2008. ミクロ経済学. 東京大学出版会. 1. 79-111.
中谷巌. 2009. 入門マクロ経済学. 日本評論社.