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新しいSNSサービスとしての企業型プロジェクト型コミュニティー型サービスの提供!新しい収益源としての広告収入ではない利用収入というモデルの提案 Providing a corporate-type project-type community-type service as a new SNS service! New usage revenue

今日のニュース:「新しいSNSの形、企業型プラットフォーム、プロジェクト型プラットフォーム、コミュニティー型プラットフォーム」

 こんにちは!!清藤士塾の渡辺です。

 現在のSNSは収入源を主に広告ビジネスに頼っています。広告収入は企業が払ってくれた資金を収入とする現代を代表するビジネスモデルであります。僕はSNSにはもっと収益を増やせる可能性があるのではないかと考えています。その根拠は、SNS上のユーザー数が数億人単位で存在するという事実です。

 現在主流のSNSにはそれぞれ特化した複数の特徴が存在しています。しかし、収益源はほとんどのSNSサービスが広告費であり、その先の収益モデルを編み出せていないのが現状といえます。広告収入は企業が払う費用ですが、僕はもっとユーザーのニーズに対応することでユーザーからの利益を期待することも可能ではないかという結論に達しました。その収益モデルはつまり利用収入(usage revenue)です。

 僕たちはお金を払いたいと思うときにまず何を優先させるのでしょうか。これはこの前の記事でも言及したことですが、年間数百万円もするサブスクリプションを課したければ、大学教育であれば、顧客の学びや卒業証明書さらには進んで有利な就職または高収入など、その払った対価以上の見返りがなければ中々難しいといえます。

 SNSでシンプルにサブスクリプションを課したとしても、得られる一人あたりの収入は年間100万円にもなる大学の授業料にはおよそ届きません。僕はいろいろな収入源となる仕組みを活用するのは効果的な方法だと思いますが、一度そのメインのサービス自体に立ち返ってみるのがいいと思います。

 文章SNSであれば、広告収入がメインであるのは、その文章SNSというビジネスが限界に達していることを示唆しています。ユーザーからの収入を期待できる余地がないのは、そのビジネスがそういう形で発展してきてしまった歴史からでしょう。

ビジネスの伸びしろは新しい価値観、例えば利用に応じた費用を課す利用収入モデルの活用

 僕はここで問うてみたいのですが、本当にそのビジネスを超える伸びしろが存在しないのだろうかということです。

 例えば、SNSであれば、主流のSNSはどれもユーザー数が数億人以上存在しています。僕はこの数億人という数字に可能性を感じます。ネットワーク効果と言って利用者が多ければ多いほど比例以上の伸びでそのサービスが価値あるものとなっていくからです。

 先程話題にしたテーマで、人々は何に対してお金を払うかというと、一つは払った金額以上の金額を受け取ることであり、言わばその一つが投資であるといえます。僕はこれが一つの理だと思います。払った資金以上の報酬が確実に見込めるのでなければ、誰しも進んでお金を払いたいと思うはずはありません。

 そういう意味では、現状のSNSサービスは集客には特化していますが、それ以上の対価を払うようなメリットが見当たらないことがSNSサービスの収益化を難しくしている点でしょう。

 僕はここで一つの提案をしてみたいです。つまり、SNSサービス上に別のサービス空間を設置するということです。

 支払い以上の報酬がほしいのであれば、起業して事業を運営するのが一つの答えでしょう。その会社経営に関する知識やノウハウ、設備や人材をSNSサービス上のオンラインワークスペースでシェアすることで新しいビジネスの形を提供することが可能ではないかということです。

 僕はそこでSNSサービスの運営が広告収入に頼ったり、シンプルなサブスクリプションを課すのは今までと同じ過ちを繰り返すことだと思っています。最近では使用に応じて費用を請求する従量課金制というモデルも存在しますが、僕はこれを固定金利であったものを変動金利にしただけで連続して金額を請求し続けるという意味で本質的には大差はないものだと思ってしまいます。

 そこで、利用に応じて費用を請求する利用収入というビジネスモデルがあってもいいのではないかと考えてみました。利用収入は利用に応じた費用を課す1回限りのサービスではありますが、その利用するサービスは長期に渡る取引が対象であり、1回限りの課金を長期間に渡って利用に応じて毎回ごとに請求するというものです。

 事業としては、SNS上では集客が容易なため、SNSの運営がユーザーに会社運営やプロジェクト、コミュニティーの土台となるサービスを提供します。会社運営では起業のサポートから法務や会計の専門サービスを提供したり必要に応じてオンライン上のワークスペースやサーバーまで利用できるようにします。

SNSサービスを利用してオンライン上の仲間同士で旅行計画を予約する

 僕は、これらのサービスが商品を使用するという意味でのモノ消費にあたり、最も重視されるべきは体験を伴うコト消費の提供であると考えています。具体的には、SNS上で仲良くなった人たちで一緒に旅行に行くことを想像してもらえば分かると思います。

 旅行では飲食店やホテルの予約から移動サービスの利用、決済サービスまで様々なサービスを用いることになると思います。それをSNS上で行えるのであれば、SNSが旅行先の店舗と取引することでサービスの割引を受けたり、特典をつけることも可能なはずです。

 そういう意味では、オンライン上の仲間同士の旅行計画だけでなく、普段顔を合わせる友達同士であってもオンライン上での旅行企画を進んで行う未来もあるのかもしれません。

 旅行の計画を立てる手段として、その相談手段としてのSNSは一例ですが、僕はそこで利用に応じた費用を課すのは広告費だけでは得られなかった以上の収入をSNSサービスの運営が手にすることだと推測します。

 話は戻りますが、その会社運営サービスを提供する場合でも様々な関連企業も加わることが必要である場合は多いでしょうし、大勢の人々が関わることになるでしょう。

 SNSサービスはユーザー数が多い点では非常に優秀なので、それに加わる新しいサービスの形を提供することで、それまでは広告収入が限界であったサービスから、サブスクリプションさらには利用収入まで色々な収益のチャンスを得ることができると思います。

 そのためには、ユーザーたちがお金を支払っても有り余る何かが必要であり、そのニーズさえ満たしてしまえば人は喜んでお金を支出するのです。僕はそこに限りない可能性の種を見つけるのです。ではでは。

価格経済学によるミクロ経済学とマクロ経済学の経済分析。インフレの仕組みとは Analysis of microeconomics and macroeconomics through price economics. How inflation works! ?

 こんにちは。清藤士塾の渡辺です。  

 以前、価格経済学P≠MCという論文をアップしました。この論文は、はるか昔、僕が経済学の修行に勤しんでいたころに歯を食いしばって書き上げた作品です。僕は、経済学という鬼門がミクロ経済学とマクロ経済学に分類されており、それらが相反する法則で成り立っていることに気づいたことがポイントです。

 例えば、収益と費用という点から見れば、一般的なミクロ経済学は生産量xと価格pを掛けた式であらわされるのですが。よく考えてみると、売上なければお金は財布に入ってこず、売上数量と価格の掛けた売上高でなければ、そこは異世界の市場か他の惑星の市場かということです。つまり、次の式が妥当といえるはずです。

収益pAx-費用xMC=利益π

ここで、利益πをゼロと置けば、次のようになります。

pAx – xMC = 0

p = 価格、Ax = 売上数量、x = 生産量、MC = 限界費用
p = xMC / Ax

 つまり、現実的にスーパーのレジおばさんと社長のおじさんが奮闘しているのはpAx=xMCという式が扱っている商品だといえるのです。

この式を参考に現実の経済原理を考えてみると・・・。

売れて売上数量Axが増えると、価格pが下がる
売れないと売上数量Axが減って、価格pが上がる

 つまり、売れると価格を上げるのでなく、売れると価格を下げるといいことが分かります。世界の市場は天変地異によりコペルニクス的転換を成し遂げたことでしょう。

 ここまでは、僕の書いたこの前の論文を見てもらえばわかるのですが、さらに貨幣数量説というトリックカードを提示したいと思います。

 これは、マクロ経済学のIS-LM曲線で用いられる式なのですが、具体的には、MV=PTという式になります。ここで、話は盛大に脱線して電車が空を飛び始めますが、pAx=xMCであれ、MV=PTであれ、変数は4つの数式が収まりがよくて、僕の小さなズボンのポケットにも収まりそうです。

 学問の世界には、いろいろな定理式がありますが、4つの変数というのはイイ感じですね。3つの変数だと、じゃんけんの様になって、ぐるぐる循環した関係になりそうですが、4つの変数だと、例えば、二つの変数の数値が増加すれば、他の二つの変数の数値が減少するというように、それぞれの変数の関係性が少し複雑になります。 

 とはいえ、変数が4つなので、あまりにも複雑になり過ぎず、程よくシンプルでまとまりがよさそうに見えます。恋愛であっても、男女どちらかが一人で残り二人の異性が取り合う三角関係より男女二人ずつの四角関係の方が物語に奥行きが出そうです。

 まあ、それはイイとして、話は戻りますが、pAx=xMCとMV=PTには明確な類似性が見られます。まず、価格のpと物価のP、売上数量のAxと実質GDPのT、生産量のxと貨幣供給量のM、限界費用のMCと貨幣流通速度のVです。

 ここで、限界費用のMCと貨幣流通速度のVが謎な関係性です。えっ!?いつから二人友達なん?という衝撃です。このVがマクロ経済学で言うところの費用の根幹といえるのは面白い事実であり、よく考えてみると、信用乗数と関係がありそうです。ヒロイン:「本当に信用してもいいよね・・・?裏切ったら暴走するよ?」

 この信用乗数には次の式があります。マネーストックM3=マネタリーベース x 信用乗数。 

 ここで、マネーストックはMV=PTの貨幣供給量Mに相当します。僕は、誰か貨幣供給としてヘリコプターから大量の万札をばらまいてくれれば、必死の形相でかき集めることを約束します。ヘリコプターマネーはいわば心理戦ですね。

 つまり、マネーストックM=マネタリーベース x 信用乗数、となって、信用乗数が貨幣の流通速度と関係がありそうなので、両辺を信用乗数で割ってみると、次の事実が分かります。

(マネーストックM) x (1/信用乗数) = マネタリーベース

V=1/信用乗数、とおくと、

マネタリーベース=MV

となります。僕は、この事実に気づいたとき、隕石が頭上に落下してくるのではないかと未熟な頭で必死に考えてみました。そう、これは物理法則に匹敵するのです。なんとまあ!! 

 さらに、本来であれば、pAX=xMCという価格式は、ミクロ経済学の需給理論の変形式なので、生産量x=売上数量Ax=1であれば、p=MCという均衡式になることが分かります。貨幣数量式でx=Axに当たるのは、通貨供給量M=実質総生産Tなので、貨幣流通速度V=物価Pが導出されます。

 つまり、V=1/信用乗数、なので、(物価) x (信用乗数) = 1となり、最も効率的な経済は理論上、x=Ax=1つまり生産した全てを売り上げた、通貨供給量:M=実質GDP:T、ということになるんです。あっぱれ!!さらに、物価P = (マネタリーベース) / (マネーストック)、となります。インフレを抑制するためには、マネタリーベースを引き下げるか、マネーストックを引き上げる。あるいは、インフレを促進するためには、マネタリーベースを引き上げるか、マネーストックを引き下げる、という現実的な問題が見えてきます。

 いやー、僕も千里眼みたいに、地平線の更なる先に何があるか見越して感動の渦に巻き込まれてみたいものですよ。と、自分の発見に酔いしれているドランカーが一人横たわってますよ。返事をしても応答がない!?ただの酔っぱらった屍のようだ。

 今日の学習はここまで・・・。ご視聴ありがとうございます。by NabeNeko. ではでは。

フェルマーの最終定理の個人的な証明。簡単な数式で本の余白にかける証明 Watanabe’s proof of Fermat’s Last Theorem. Proof on the margins of a book with a simple formula

 こんにちは。清藤士塾の渡辺です。

 フェルマーの最終定理という問題があります。a^n+b^n=c^nで、n>=3は存在しないという証明です。350年間解かれなかった問題ということで、最近になってある数学者がこの証明を成し遂げました。その当時、僕はまだ数学に興味を持っていない年頃であり、当時と比べると僕も成長したなと思います。

 そもそも何ですけどね。a^nとはどういう意味かというと、aをn回掛けたものに当たります。つまり、axaxaxax・・・ということです。

さて、証明に移ります。

a^n + b^n = c^n
b^n = c^n – a^n
 ここで、a=c-dという新しい式を持ち込むと、dは新しい変数と言えます。

b^n = c^n – a^n
= c^n – (c-d)^n

 (c-d)^nを展開すると、c^n以下の項はdでくくれます。dでくくったものをuと置くと、次のようになります。

b^n = c^n – (c-d)^n
= c^n – c^n + du
= du

 結果的に、b^n = duとなります。ここで、b^nとはbがn回掛けられていることだから、dかuはbに関係あるはずです。例えば、b=dなら、b^(n-1)=uとなります。つまり、次のようになります。

b^n = db^(n-1) = du

b^(n-1) = uであれば、a=c-dよりb^n = bu = du = (c-a) x b^(n-1) = (c-a) x (c-a)^(n-1) =(c-a)^nなので、a^n + (c-a)^n = c^n、となります。

c^n – a^n = (c-a)^n

 この式が成立するには、n=1, c^1 – a^1 = (c-a)^1という答えがありますが、n>=2では等号は成立しません。

c^2 – a^2 ≠ (c-a)^2 = c^2 -2ac +a^2

 b^n = duのとき、ありうる他の選択肢として、b^n=(td)^nという時です。

 d=c-aを前提とすると、b^n = c^n – a^n = (t^n) x (d^n) = (t^n) x (c-a)^nとなります。つまり、次のようにまとめれます。

(t^n) x (c-a)^n = c^n – a^n

 ここで、c^n – a^nから(c-a)をくくり出せる個数はnに関わらず一つなので、n>=3は成立しません。実際、

n=1のとき、(t^1) x (c-a)^1 = c^1 – a^1となり、t^1 = 1です。

n=2のとき、(t^2) x (c-a)^2 ≠ c^2 – a^2 = (c+a) x (c-a)となり、等号が成立しません。

 n=3以上も等号が成立しませんので、結局フェルマーの最終定理はa^n+b^n=c^nで、n>=3は存在しないということになります。つまり、右辺と左辺の(c-a)の個数が重要でした。

 以上です。文章の解説を書かなければ、ノートの余白にも書けるのではないでしょうか。ありがとうございました!!ではでは。

サブスクリプションと広告収入。より効率的で収益性の高いビジネスモデルはなにか。ヒントは高額な大学の授業料 Subscription and advertising revenue. What is a more efficient and profitable business model? expensive college tuition

 清藤士塾の渡辺です。

 インターネット上の稼ぎ方として、サブスクリプションや広告収入がありますが、最も効率的で収益性の高いビジネスとは何なのか。大学の授業にそのヒントを見ます。

サブスクリプションと広告収入ではどちらが稼げるか

 サブスクリプションとは定額制のことであり、月単位や年単位で一定額の料金を徴収するビジネスモデルです。一方、広告収入というビジネスモデルもあり、どちらも現在多くの個人や企業に使用されています。サブスクリプションとひとえに言っても、オンライン映画の視聴料や音楽コンテンツの配信料など色々な形態に利用されています。

 サブスクリプションと広告収入では、どちらが収益率が高いかといえば、現在のビジネスでは、圧倒的にサブスクリプションのほうが収益率が高いと言えます。サブスクリプションの最たるものは大学の授業料であり、日本では私立大学で毎年100万円近い料金が課されています。

 一方、広告収入の代表的なビジネスは検索エンジン最大手や動画配信SNSなどの配信コンテンツと言えます。広告収入は昔ながらのビジネスとしては、テレビや新聞などメディアの収益源として活用されることが多かったはずです。

 新聞は、素晴らしいビジネスモデルであり、広告収入だけでなく、新聞紙自体の販売料も収益として加わります。テレビは、広告収入が大きな収益の柱であり、企業が広告費を支出しなければ、収入は大きく減少してしまいます。今回のコロナでは、緊急事態宣言など、テレビの取材自体が抑制されることも問題としては大きかったですが、広告費の減少が売上を大きく圧縮したことは否めません。

 一方、インターネットでは、映画配信大手によるサブスクリプションが収益モデルとして利用されていましたが、サブスクリプション料を圧縮するため、映画に広告を挟むことによって、広告収入とサブスクリプションの二本立てで収益を獲得しようという試みがなされています。しかし、動画配信サービスのサブスクリプション料は、年額で1万円に届くかどうかという廉価なものであり、大学の授業料のような高額なサブスクリプション料を課す余地はないように見えます。

 大学の授業料がなぜあれほど高額なのか。主要先進国の教育関連費を見れば、年額600兆円に達するほど、市場規模としては巨大なことがわかります。これは、政府の補助金も含めて一人あたりの教育費が年額200万円として3億人の学生が存在することが垣間見えます。現在でも存在するビジネスに年額数百万円もする高額なサブスクリプションは存在しないでしょう。いかに教育事業が収益性の高いビジネスモデルであるかがわかります。

 大学の授業料が高い理由に、一流の研究者による対面またはオンラインでの授業、キャンパスのような学校設備の利用、何より就職に有利な学位の授与があります。一方、広告収入は検索エンジン大手や動画配信SNSの専売特許ではありますが、検索エンジン最大手企業の年間売上高が数兆円であることからも大学のサブスクリプションと検索エンジンの広告収入では資金量で大きな差があることが分かります。検索エンジンと教育事業でこのような差が生まれるのはなぜでしょうか。

検索エンジンが収益性で大学を超えられない理由

 検索エンジンでサブスクリプションつまり利用に対して対価を得ようとするのは現時点では困難であると言えます。今まで検索エンジンの利用は無料とされてきたし、今更利用に対して対価を取るのは利用者が納得しないはずです。

 また、検索大手はデータを売っていますが、それ以上に現物としてのメリットが少ないです。それに対して、高校や大学といった高等教育機関では、高校卒業資格や大卒資格といった認定証が卒業と同時に得られます。多くの学生は、この高等教育機関の卒業認定資格のために高額な授業料というサブスクリプションを自ら進んで払うことになります。この卒業認定資格は就職時や特定の業務に就く場合、保有していれば有利にそのポストを得ることができます。これは高卒と大卒の生涯賃金で有意な差がでることからも多くの教育利用者がまず簡単に思いつく賃金の増やし方でしょう。

 そういう意味では、最近では一般的となったオンラインサロンというビジネスと何が違うのかということですが、サロンに参加するのは何か学ぶことなど実益があることが理由であるはずです。しかし、いくらオンラインサロンで学び稼ぐ力を身につけても、それを証明して労働市場で価値を高める手段がないのが実情です。

 オンラインサロンで毎月5000円払う利用者が一定数いたとしても、有り余る金でもなければ、喜んで毎年100万円をサロンに払う顧客はほとんどいないでしょう。つまり、大学の授業とオンラインサロンの講義で違うことといえば、その学びが後の将来につながるかということです。

 仮に、オンラインサロンで学んだあとに有名大手企業に楽に就職できるのであれば、高い授業料も喜んで払う人は確実に増えるでしょう。そういう意味では、オンラインサロン的なビジネスは高等教育の下位互換といえるビジネスであり、その教育を受けることによってある程度保証される特典が抜けています。これは、検索最大手がサブスクリプションとして成立するためにも検索して得られる知識以上に何か実物として得られるメリットが必要となります。

 もちろん、サブスクリプション以外にも物販による商品の販売など稼ぐ機会は他にもあります。しかし、物を売るという古典的なビジネスモデルを差し置いて、有益なコンテンツの視聴だけで利益を得ようとすれば、広告収入よりサブスクリプションのほうが上手いビジネスの方法です。さらにサブスクリプションの利用後に学位などの利用者にとって明らかなメリットがあり、大金を払っても得たい何かがあれば、高額のサブスクリプションという高等教育に近いビジネスに発展させることができる可能性がある。

 大学教育というのは言わば文化であり、企業活動と一連のシステムとして現代で定着してきた歴史があります。その企業努力といえる歴史を横において、高等教育の優劣を語ることはできませんが、高等教育と新規事業をミックスさせることで、高い授業料を得ることも可能なのです。

 

本記事のポイントとして学位のような特典があれば高額サブスクリプションも可能

 文章メディアとして代表的なブログと、動画メディアとして代表的な動画配信SNSでは、どちらも主な収益源は広告収入です。動画配信として一歩進んだ収益モデルは、映画配信サービス大手のサブスクリプションです。このサブスクリプションは、ブログでもオンラインサロンとして人気講師の収益源となっています。しかし、どちらも収益としては単価が低く、薄利多売という欠点があります。

 大学の授業料のように高品質なサブスクリプションとするためには、学位のようなお金を払っても欲しい実益が必要となります。しかし、大学の学位は文化的に企業活動と共に発展してきた特殊なものであり、オンラインサロン等で真似るのは困難であると言えます。オンラインサロンをさらに収益率の高いビジネスモデルにするためには、物販を同時に兼ねることも検討できますが、物販にも限度があることがわかります。

 そのため、オンラインサロンや動画配信サービスがその利用のあとで受けられる恩恵、つまり高等教育であれば有利な就職などがあれば、高額なサブスクリプションを大勢の利用者に課すことも非現実的ではありません。

 結局、今回の話のまとめは、広告収入でも低額サブスクリプションでも物販でもないメディアの稼ぎ方として、学位のような特典を授与することで高額なサブスクリプションが可能となるという点です。大学などの高等教育は至って高度なビジネスモデルでありますが、それを超える収益モデルもきっと存在するはずです。その収益モデルは、次世代の稼ぎ方として未開の巨大市場を想像させます。

価格経済学P≠MC―マクロ経済学のミクロ的基礎づけ―ver.2023/02/06

価格経済学P≠MC
―マクロ経済学のミクロ的基礎づけ―

清藤士塾 渡辺

要旨
本論文では、ミクロ経済学で取り扱う需給理論の均衡価格導出理論に、売上という概念を導入することで現実的な理論への拡張を試みる。これは価格の付く、あらゆる製品の値付けを可能とする。さらに、マクロ経済学のミクロ的基礎づけを実現する最後のピースとなる式、つまり絶対的市場価格式の導出と適用例、並びにその式のこれまでの経済学の知見との整合性について考察する。

序章

 実世界において、価格を求めることはできるのか。経済学を勉強してきた中で、常に頭にあった問題である。これに答えを出す形となったアイデアは会計学の基礎知識から得られた。このアイデアは経済学が科学として完成する序章になるかもしれない。そんな期待を胸に以下から構成される研究成果を記したい。
 第二章では、この研究の成果とする価格式を紹介する。この価格式により従来の経済学の矛盾を解消したい。
 第三章では、絶対的価格式の導出を行う。条件付きで、単純な方法を用いている部分もあるので本論考の読み手の精査を得たい。
 第四章では、絶対的価格式の根本的な意味について考察したい。完全競争市場における利潤ゼロ価格が重要なポイントとなる。
 第五章では、マクロ経済学のミクロ的基礎づけということで、絶対的市場価格式をマクロ経済学に適用する例をみる。フィッシャーの交換方程式など驚くほどの共通点が発見される。
 第六章では、ミクロ経済学の妥当性について考えてみたい。ミクロ経済学とマクロ経済学は本質的に原理が異なるのではないか、と分析する。
 終章では、本論文を通じて本当に伝えたいメッセージを記す。

第二章 絶対的市場価格式とは何か

 国の違いはあるが、大学に入り、ミクロ経済学で最初に学ぶのは需給理論ではないだろうか。需給理論は現実の人間心理に根差した精緻なモデルを提供している。つまり、消費者は効用を最大化するために行動し、また供給者は利潤を最大化するために行動する。しかし、考えてみてほしい。効用は測定できる定量的なものだろうか。供給者は生産した製品が全て売れると考えているが果たして現実的だろうか。残念ながら、これらの前提は現実的とは言えない。つまり、現実では効用をいちいち測定して値付けすることはほとんど不可能だし、供給者は売れ残りが存在するため、「供給は必ず需要される」という前提であるセーの法則を受け入れられない。
 しかし、これらの現実を上手く組み入れたモデルの創出は可能である。これは会計学の知見を取り入れることで達成される。つまり、次の式となる。
 
 収益-費用=利潤 (1)

 これは一般的な会計学の知識といえる。これを経済学で表現するには、記号を使用すると分かりやすい。ここで、次の式を前提とする。
 
 収益=売上高=pAx=価格p * 売上数量Ax (2)
 費用=xMC=生産量x * 限界費用MC = xAC = 生産量x * 平均費用AC (3)
 限界費用MC=平均費用AC (4)

この前提の下で(1)式を表現すると、次のようになる。

pAx – xMC = π(5)

さらに、(5)式を利潤π=0として書き換える。

p=xMC/Ax (6)

 (6)式こそ、冒頭で述べた最後のピース、つまりミクロ経済学とマクロ経済学の橋渡しをする式、絶対的市場価格式(以下、絶対式)となる。改めて、この式を解説するとp=価格、x=生産量、MC=限界費用、Ax=売上数量、となる。ただし、この式の詳細な解説については第4章に譲る。ミクロ経済学では売上数量Axという概念は見慣れないかもしれない。しかし、これは需要予測に使用できる、いわば達成された効用量(Achieve x)であり、需要の大きさを可視化する試みの一環である。
 この基本式は、パン、自動車、水道サービス、冷蔵庫、果ては株式や為替の価格まで値付けが可能となる。ただし、為替はここでいう基本式、絶対式では値付けできず、相対的市場価格式(以下、相対式)で取り扱う分野となる。
 相対式とは第一製品の絶対式を第二製品の絶対式で割ることによって求められる。これは次の式となる。
(7)
 絶対式も相対式も他の製品との比較であるという点では相対的である。つまり、絶対式は貨幣と製品の比較といえる。しかし、単体で価格を求められるか。あるいは価格を求めるのに二製品の比較が必要であり、絶対式とは異なる価格表示の形式を採用するかで、絶対式と相対式の分類をしている。

第三章 絶対的市場価格の導出

 本章では(6)式、絶対式の導出過程を述べる。
 奥野(2008)の「利潤は収入と費用の差π(x) = px – C(x)として定義することができる」という一文は供給曲線の根幹に関わる部分である。これは一見すると絶対の真理でもあり、不変の原則であるようにも思える。
 しかし、先ほども述べたが、この生産量xは必ず全て売れるのか。または、売れる部分だけを考慮して売れ残りの部分は除外されているのか。いずれにしろ、現実的ではないと思うのは私だけではないはずである。そして、その事こそ供給曲線を現実離れした机上の空論と化してしまっている要因でもある。
 さて、ではどうすれば現実に近づけることができるだろうか。ここで、上述したAxという概念を導入したい。Axとは、つまり売り上げた数量である。注意しなければならない点は売上数量Axと、生産量xは区別しなければならない。Axは直接にはxを支配しないが、xはAxを直接支配する。Axが増えれば、それによって次の製造段階でxは増えるかもしれないし、減るかもしれない。一方、xが増えれば、その段階でAxの上限も変化する。つまり、Ax(x)とするのが正しいであろう。また、利潤πを決定する要因はpxではなく、pAx(x)であるのは、現実を考えれば経験則で妥当といえる。従って、

π(x)=pAx(x)-C(x) (8)

が新しい利潤式として定義できる。
 また、(8)は式として分解することができる。つまり、右辺第一項の売上高pAx(x)を価格pと売上数量Ax(x)の積に、右辺第二項総費用C(x)を平均費用ACと生産量xの積に、書き直せる。

pAx(x)=p・Ax (9)
C(x)=AC・x (10)

 ここで、(9)を需要点、(10)を供給点とする。線ではなく点なのは、変数に比例する直線でなく、曲線上の決められた一点を示すからである。ある時点と比べて次の時点で、需要点が一定なのに供給点が高くなるのは、費用が多くかかるようになったか、生産量を増やしたがその分が全く売れなかったか、のどちらかといえる。この場合、需要より供給が大きく、採算を取りたい場合には価格を上げるか、売れ残りが多くある場合には供給量を減らすか、の必要がある。逆に、供給点が一定なのに需要点が高くなるのは、価格が上がったか、売上数量が増えたかのどちらかである。
 さて、横軸生産量xに対する縦軸売上数量Axについての第一象限のグラフを想像してみてほしい。このグラフには売上数量の曲線と、45°線がある。この45°線上では直線上の如何なる点もxとAxが一致、つまり全ての生産物が売れた状態を指す。45°線より下に売上数量の曲線上の点があれば売れ残りが、上に売上数量の曲線上の点があれば予約が、あることを意味する。
 費用と数量の関係のグラフを描く、伝統的なミクロ経済学の手法では縦軸の単位に金額を、横軸に数量を採用する。従って、先の想像上のグラフは縦軸を価格p倍することで、縦軸を売上高に変換し、費用曲線を書き込めるようにできる。
 それでは需要点と供給点が一致した需給点または均衡点(6)の式を導出したい。まず、新古典派経済学で仮定される、企業目的としての利潤最大化である。つまり、企業としては(8)式の利潤π(x)を最大化したい。また、そのためにはC(x)を最小化する必要がある。これらの考え方は奥野(2008)にあるように従来のミクロ経済学のテキストを踏襲するものとする。そこで、(8)式を生産量xについて微分し、限界利潤Mπを求める。この限界利潤は0より大きいと生産量を増やすことで新たな利潤を得る機会があり、0より小さいと生産量を減らすことで利潤を得る機会がある。従って、限界利潤Mπ= 0のとき全体の利潤が最大となる。以下で式をまとめる。
(11)
 (11)式は二つの方法によってまとめることができる。一つは、

p=MC/MAx (12)

である。こちらは普遍的に使える絶対価格式である。一方、(6)式を求めるための供給式が必要となる。こちらは少しテクニックがいる。
 (11)式のAxは現実的に直線であれ、曲線であれ、その瞬間の売上数量の点の集合として描き出すことはおそらく不可能だろう。ある製品の、ある瞬間の売上数量はグラフ上の一点としてしか表せないからである。従って、グラフの原点から、その一点までの近似としてAx直線を描き出す試みは決して愚かではないはずだ。実際、ある瞬間の、生産量が異なった場合の売上数量はどの点になるかは、意味をなさない。つまり、既にその瞬間は戻ってこず、原点と実際の売上数量の点こそ意味がある。これは第二項の総費用について言えば、固定費が存在せず、全て生産量に比例した可変費で表されることを意味する。つまり、平均費用AC=限界費用MCである。
 この仮定の下、直線Axをxで微分することはAxをxで割ることを意味する。そこで、(11)式は、

p=xMC/Ax

となる。つまり、(6)である。
 また、ここで注意してほしいことがある。新古典派経済学では消費者は効用を最大化するために行動すると仮定する。その場合、伝統的なミクロ経済学のテキストでは、無差別曲線という、同水準の効用を表す曲線を用いて需要曲線を導く。これは効用が測定できれば素晴らしい理論である。
 しかし、先ほども述べたが、現実では個人の効用を測定するのはほとんど不可能であり、代替案が求められる。そこで、売上数量という消費者の嗜好の結果を表す概念を用いる。つまり、伝統的な新古典派経済学の人間観を参考にすれば、消費者は売上数量(効用)を最大にするように行動する、と仮定できる。これは、消費者の嗜好に合致してこその売上数量という点に注意してほしい。この点に関しては第四章で再び触れる。

第四章 絶対的市場価格式の考察

 本章では、絶対的価格式の考察を行う。この絶対的価格式は利潤ゼロ価格でもある。以下は、その証明である。
 まず、第三章の式の意味を考えてみることにする。(6)式であるが、これは「取引製品1単位当りの費用」を意味する。ここで、再び(8)式を参照したい。この式をpを求める式に加工すると、

p=(π+C)/Ax (13)

となる。この式の価格に対する、費用と売上数量の分析を試みると、他の変数を固定して費用が増える(減る)と価格が増える(減る)。また、売り上げ数量が上がる(下がる)と価格が下がる(上がる)。
 ここで、(13)式を利潤ゼロとして表現した式である、(6)式を文字により表してみると、


p=費用/売上数量 (14)

となる。さらに、私的自由裁量であるが、費用10ドル、売上数量5個とすると、(14)式のpは2ドルとなる。これは(14)式の両辺に売上数量Axを掛ければ、売上高と費用が一致することを意味する。つまり、ここに利潤は存在しない。もちろん費用には材料費だけでなく、人件費などの諸々が含まれる。
 次に、(6)式にx = Ax = 1を代入してみる。すると、p = MCであることが分かる。これは伝統的なミクロ経済学の供給曲線を導く式である。つまり、「この理論はその視点が供給者側にフォーカスされている」。そもそも、この理論は(8)式によってほとんど完結している。この式に売上数量Axという新たな視点を追加したのが本論稿の要なのである。
 さて、さらに新たな視点を提示したい。(14)式によれば、売上数量が増えれば(減れば)価格は下がる(上がる)ことになる。しかし、よく考えてみてほしい。日常生活において我々が商店等で買い物をするとき、これと逆の現象を目の当たりにする。つまり、売上数量が増えれば(減れば)、価格は上がる(下がる)のだ。伝統的なミクロ経済学の需給曲線もこの考え方から出発している。
 このような考え方は利己的人間像を仮定する新古典派にとって当たり前のことだろう。人間は自分の利益を最大にするために合理的に行動を選択するのだ。しかし、(6)式が正しいとすれば、真理は真逆といえる。
 一般的には、売上数量が増加する人気製品は価格をさらに下げることでますます売上数量が増加するだろう。それは生産者の価格競争力と市場シェアを引き上げる。さらに、需要者の効用最大化問題、つまり売上数量の増加は価格を押し下げ、消費者の利益となる。また、逆に売上数量が減少する不人気製品は価格をさらに上げることで採算を取る。この不人気製品の、売上数量減少と価格上昇が続けば、やがて不人気製品は市場から淘汰されていく。つまり、挽回するには売れるための製品の有益な変化(差別化またはイノベーション)が必要となるのだ。
 つまり、完全競争市場における利潤ゼロ価格は市場原理に基づく、最も効率的な市場を創造する。一方、従来のミクロ経済学が想定する需給原理は人間心理に根差したものといえる。これは絶対的市場価格を前提とする市場原理が物理のような自然科学として成立する一方、従来の需給原理を前提とする人間心理が心理学のような人文科学として成立することを示唆する。
 現実の市場では、恐らくこの二つの力によってバランスがとれると同時に、非効率がなかなか改善されないのであろう。株式や為替などの完全競争市場に近い市場は市場原理が強いのかもしれない。一方、食品などの人間が恣意的に価格付けする市場は人間心理が強いのかもしれない。
 もちろん、利潤が増えないのでは企業はインセンティブを失うという指摘もあるかもしれない。しかし、人件費や利潤等は費用に含まれている。業績がよければ、従業員の給料を上げたり、株主への配当を増やすことは可能なはずである。もちろん、それによって価格は増加する。取り組みとしては、絶対的市場価格式に利潤項を設けるのもいいかもしれない。
 さて、今一度需給点について考えてみてほしい。
 伝統的なミクロ経済学の需要曲線は効用という個人の価値観によって形成されたものである。そのため、例えば新しいTVコマーシャルを見たという、ちょっとした刺激によって直ちにその価値観は変化するだろう。つまり、それはどこまでも理論的であり、観念的である。一方、伝統的なミクロ経済学の供給曲線は需要の動向から完全に独立している。例え最も利潤を最大化できる供給量を見つけたとしても実際の需要と関係ないのでは意味がない。換言すれば、生産者は流行など、社会の流れにも注目している。
 一方、本理論では売上数量Axという概念を用いることで、需要点は物理的客観的なデータを使用でき、供給点は需要の表れを考慮したものとなっている。
 ただし、本理論での価格付けは需給同時決定的である。つまり、その性質上、供給者は過去(一期前)の売上データを用いて、その売上で利潤が最大になる生産量を製造し、その生産量と限界費用と売上数量の情報の下で価格を計算する。そのため、前期間の売上数量などの情報を手にした時点で全ては決定している。従って、需給同時決定的ではあるが、前期間の状況を重視しており、今期の状況と多少の誤差が生じるかもしれない。そういう意味では、売上が一瞬で急激に変化するような製品では実際を反映しない可能性を含んでいる。また、弾力性といった概念を考慮することも必要となってくる。

第五章 マクロ経済学のミクロ的基礎づけ

 本章では、従来のマクロ経済学と、本理論の絶対式との整合性について考察する。マクロ経済学の重要なテーマに物価がある。物価に関する式の一つとしてフィッシャーの交換方程式がある。この式について、絶対式との恐るべき共通点を見出すことができる。それぞれの式を並べてみよう。
 
フィッシャーの交換方程式
MV=PT
M : 貨幣量(M2)
T : 1期間における財・サービスの取引量(実質GDP)
P : 物価
V : 貨幣の取引流通速度

絶対的市場価格式
xMC=pAx
x:  供給量
Ax: 売上数量
p:  価格
MC: 限界費用

 この式をそれぞれM=x、T=Ax、P=p、V=MCと置けば、両式は一致することとなる。最後のV=MCについてみると、両式が同じものなら物価Pの限界費用MCは貨幣の取引流通速度Vであることが分かる。
 また、IS-LM曲線について考察してみる。IS曲線Y=C(Y)+I(r)+G+NX、LM曲線M/P=L(Y, r)となるので、フィッシャーの交換方程式にあてはめる。

 MV=PT
 M/P=T/V
 L(Y, r)=(C(Y)+I(r)+G+NX)/V

M/P=L(Y. r)は貨幣の実質需要を表し、実質的な貨幣供給量を意味する。それを、GDP/貨幣の流通速度、と等価とすることで、等式は完成される。
 このように、物価水準やIS-LM分析は絶対式を土台として考えれば、現実的に使用できるようになる。金融政策と財政政策の分析は改めて取り組んだ結果を報告したい。また、ある産業の労働者の平均賃金を考える際に、その産業全体のパイと、労働者数、潜在労働者数が分れば、その産業の平均賃金を算出できると考えられる。また、相対式を使用すれば売りが売りを呼ぶ金融危機も説明できるのではないだろうか。

第6章 ミクロ経済学は正しいか

 私個人としてはマクロ経済学よりミクロ経済学の方が思い入れがある。理論構成も好きであるし、否定はしたくない。しかし、現実経済を考慮した場合、ミクロ経済学は部分的に正しくないのではないか、あるいは特殊な均衡ではないか、と疑念を感じる。
 第四章で述べたように、価格経済学で、価格を構成する要因である、ゼロ利潤価格の部分は物理的であり、純粋に市場原理を表していると考えられる。第五章で取り扱ったように、ケインズ経済学がフィッシャーの交換方程式を土台とするIS-LM分析から成り立っているのであれば、ケインズ経済学は価格経済学と親和性が高い。つまり、売上数量が増えれば(減れば)、価格は下がる(上がる)、という価格経済学的な市場原理により現実経済を分析していることになる。しかし、本稿の副題でもあるが、ケインズ経済学にはミクロ的基礎づけがない。つまり、企業や消費者による、個の集合として経済を分析することができない。
 また、価格経済学ではゼロ利潤価格を想定するが、利潤項を設けることも可能である。この利潤部分は人間により恣意的に価格付けされる部分なので、人間心理的であり、ミクロ経済学の市場原理と親和性が高い。もし、現実経済で人間が恣意的に価格付けを行っているのであれば、ゼロ利潤価格式は根拠がないといえるかもしれない。しかし、恣意的な価格付けであったとしても、利潤を含む価格、つまり収益が費用を超えている価格、を設定するなら、収益と費用が一致する部分(ゼロ利潤部分)には価格経済学の市場原理が適用されていると考えられる。それは物理学でいう運動の法則であるといえる。言い換えれば、価格経済学の絶対式は物理学の運動方程式と同じである。従って、マクロ経済学とミクロ経済学では市場原理の基本的な性質が正反対といえる。そのため、マクロ経済学をミクロ的に基礎づけることは困難なのである。
 価格経済学により個々の企業の製品価格を求めると異なる価格となる。価格経済学では、厳密には、完全競争市場、独占的競争市場、寡占市場、独占市場の区別はない。なぜなら、価格経済学を用いれば、これらの市場の製品価格を同じ方法で求められると考えるからだ。そのため、ミクロの各経済主体はそれぞれ異なっており、その中の一つを代表としてマクロ経済を描くことはできない。つまり、マクロデータを集計値としてしか扱えない。ただし、ミクロ経済学とマクロ経済学で取り扱う主体は同じ方法により価格を求めることが可能になると考えられる。
 また、一見すると絶対式は在庫という点で弱点を持つように見える。これは絶対式が在庫を想定しておらず、その価値を0として取り扱っていることに関係する。しかし、これは利潤項と同様に、在庫項を設けることで問題が解消される。つまり、会計学では以下のようにして価格に在庫を含める。

売上-(期首在庫+仕入れ-期末在庫)=π

期首在庫=S1、期末在庫S2とおくと、

pAx-(S1MC+xMC-S2MC)=π
p=(S1MC+xMC-S2MC+π)/Ax

ただし、利潤が存在せず、セーの法則が働く、需要超過完全競争市場では、以下のような条件となる。

S1+x-S2=Ax
S2-S1=x-Ax

従って、この条件ではP=MCが成立するが、利潤が存在したり、在庫が破棄されたりする状況ではP≠MCとなる。

終章 まとめ

 絶対的市場価格式はゼロ利潤価格式である。ゼロ利潤であるため、現在のミクロ的需給理論とは正反対の値動きをする。つまり、需要が多ければ価格は下がり、供給が多ければ価格は上がる。しかし、これはゼロ利潤価格の範囲での話であり、実際の市場では「過度に」需要が大きければ値段は高くなり、「過度に」供給が大きければ値段は安くなる。これは、値動きに異なる要因、二つの要因があることを示唆する。つまり、市場原理と人間心理である。そして、異常事態、戦時中の食糧難などを除けば、現実の市場ではこの二つの動きがバランスして価格が決まるように機能している。
 仮に、現実の市場が利潤の少ない完全競争に近い市場であり、その中の製品群を考察の対象とするなら、ゼロ利潤価格は経済を解き明かすのに大いに役立つはずである。ここで従来の需給理論の仕組みを絶対式で分析し、最後に一言述べておきたい。

p=xMC/Ax
p+Δp=xMC/Ax+π/Ax
Δp=π/Ax

 価格が一定pで売上が増加すると利潤が増加する。さらに売上が増加すると、「人間」が価格を上げて、利潤はさらに増加する。「超過」需要は価格を上げる。
 また、価格が一定pで売上が減少すると利潤が減少する。さらに売上数量が減少すると「人間」が価格を下げて、利潤はさらに減少する。「超過」供給は価格を下げる。
 最後に一言。「人間は価格付けに、その合理的な根拠を持っているのだろうか。」

<参考文献>
奥野正寛. 2008. ミクロ経済学. 東京大学出版会. 1. 79-111.
中谷巌. 2009. 入門マクロ経済学. 日本評論社.

双子素数は3a+5bという式で簡単に求まる?ただし3とaと5とbは互いに素であることにご用心!Is it easy to find twin primes with the formula 3a+5b? But beware that 3 and a and 5 and b are relatively prime!

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清藤士塾の渡辺です。

数学には双子素数問題という未解決問題があります。そもそも双子素数以前に素数とは何かについてですが、素数は1と自分自身以外では割り切れない数字です。2,3,5,7,・・・と素数は無限にあることが証明されています。

双子素数とは、素数と素数の差が2である素数、つまり、5と7、11と13、17と19などです。素数自体が未だに定式化されておらず、法則性はあるのでしょうが、ほとんどランダムといえる数値列であります。素数の出現法則以上に双子素数の出現法則は謎であり、僕もいろいろと長い間考えてみたのですが、最近になって何となくその手がかりのようなものが掴めてきました。

素数には、オイラーが編み出したx^2+x+41のようにxに0から整数値を次々に代入していけば、40個以上連続で素数が出るものもあります(x^2とはxの2乗であり、xを2回掛けた数値です)。例えば、x^2+x+41に0,1,2,3,・・・と整数値を代入していけば次のようになります。

0x0+0+41=41、1×1+1+41=43、2×2+2+41=47、3×3+3+41=53、・・・と連続して素数が出現していることが見て取れます。僕は、もっと簡単な数式で素数を表せるのではないかと考えてみました。

それは、3a+5b,5a+7b,3a+7b,の三式です。ここでポイントは、aとbに掛けられている係数の3,5,7はそれぞれ奇数なので、aとbは片方が奇数であり、もう片方が偶数である必要があります。なぜなら、素数は2以外は奇数だからです。さらに、最低限必要となるポイントは、3,5,7,a,bが互いに素でなければならない点です。

互いに素とは、例えば、12と18はそれぞれ6×2と6×3なので互いに6の倍数です。この場合、最大公約数は6であると言い、6が一番大きな共通の約数となります。一方、12と13は13が素数なので、2x2x3=12と1×13=13で共通の約数が存在しません。つまり、最大公約数は1となり、これは1以外の共通の約数を持たないという意味で互いに素と言います。

この互いに素が必要な理由は、例えば3a+5bの場合、3×7+5×4=41の場合、互いに素であり、素数になるための最低限の条件を満たしていることになります。しかし、3×7+5×6=51であれば、3と6は共通の公約数である3を持つため、51=3×17となり、3の倍数となり、素数ではないことがわかります。

ここまでの話として、素数になるためには最低限互いに素である必要がありますが、3と5とaとbのどれか一つの組み合わせの差が1である必要があります。3と5はあるいは3と7、5と7は互いに差が2か4であるため、差が1である条件を満たしません。具体例に移りましょう。

3×4+5×5=37 素数 3と4と5の差が1
3×11+5×10=83 素数 11と10の差が1

また、双子素数になる場合には次の条件に従います(しかし、これが全てではありません)。
双子素数になるためには、aとbの差が1であれば、数値を入れ替えることにより、差が2の数値が生じます。例えば、次の例に従います。

3×1+5×2=13 双子素数
3×2+5×1=11 双子素数

3×7+5×8=61 双子素数
3×8+5×7=59 双子素数

3×13+5×14=109 双子素数
3×14+5×13=107 双子素数

3×22+5×23=181 双子素数
3×23+5×22=179 双子素数

3×28+5×29=229 双子素数
3×29+5×28=227 双子素数

3×31+5×32=253=3×31+20×8=23×11 31-8=23 20+3=23 
3×32+5×31=251 素数

3×37+5×38=301=7×43 38-3=35=7×5 37+5=7×6
3×38+5×37=299=2×57+5×37 57-5=13×4 37+2=13×3  

3×43+5×44=349 双子素数
3×44+5×43=347 双子素数

海外支払いの手段としてクレジットカードではなくデビッドカードを用いる?その心は惰性の克服 you use debit cards instead of credit cards for international payments?

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清藤士塾の渡辺です。

変化の多い時代に僕達はどう生きていくのか。時間を取って考えてみるのもアリではないでしょうか。

僕は最近、電子マネーを使い始めました。少し前も電車の改札でタッチするだけで精算が行われるカードを持っていましたが、ここしばらくは現金で切符を買っていました。

しかし、切符は一回一回窓口の券売機で購入しなければならないため、切符を買うときもあれば、カードでタッチして精算するときもあるように変わりました。カードでタッチする場合、お金を消費しているという意識が薄くなるため、金銭感覚が少し変わってきます。

僕は結構思いつきで行動しているため、カードでタッチして改札をくぐる場合、当初の目的地とは違った行き先に向かうことがあります。当初の目的地より近いところであれば、費用が少なくなるため問題ないのですが、目的地より遠い駅に向かいたくなった時、余分なお金がかかることになります。

切符であれば、乗越精算機で追加の料金を払うため、余分にお金がかかったことを実感しますが、カードの場合、別の駅でタッチするだけなので、お金が想定より多くかかっていることに実感がわきにくくなります。

これはスーパーで買い物をする場合も同じと言えます。僕はまだスーパーでカード払いをしたことがないのですが、今度デビッドカードを発行しようと思っています。デビッドカードとはキャッシュカードを用いてクレジットカードのようにカード決済できる仕組みです。

クレジットカードは口座に残高がなくてもローンでカード払いできますが、デビッドカードは預金口座の残高までしかカード払いができません。しかし、デビッドカードは支払いには海外支払いでも対応している場合が多いですし、クレジットカードと大差はありません。

まだ僕はデビッドカードを発行していないので詳しいことはあまり知りませんが、今度デビッドカードを新しく発行したときにはまた記事としてまとめていきたいと思います。

でも、まさか僕が電車のカードではなく電子マネーを使う日が来るとは思いませんでした。まだまだ遠い先で電子マネーが広く普及し必要に迫られて使用することかと思っていました。

何事も新しいことに挑戦する姿勢は大事だと思います。そもそもデビッドカードが必要になった理由は海外企業への支払いのために支払い手段を参照したところ僕の十八番の銀行振込がなかったことに由来してます。

海外支払いはクレジットカードとデビッドカードがメジャーなようで、ネットショップのアマゾンに支払いするようにコンビニ受け渡しや代金引換は難しいからです。本当に日本で展開しているような企業であれば、支払いのときも銀行振込で行けるのかもしれませんが、世の中はそのような大手多国籍企業ばかりではないのが現実です。

僕もまだデビッドカードは発行していませんが、今後海外企業とのやり取りでは重宝しそうです。僕が海外支払いのためにデビッドカードを発行した企業の支払い手段にはpaypal払いもあったのですが、色々と個人的な問題があり、頓挫しました(笑)。

まだデビッドカードが発行できるのか、そのデビッドカードで海外支払いできるのか。予断は許しませんが、機会があれば読者のみなさんにご報告していきたいと思います。ではでは!!

自分が主人となるか他人を主人とするか?仕事の時間もプライベートの一部と考える Are you the your owner or are other person your owner? Consider work time as part of your private life!!


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清藤士塾の渡辺です。


物事には流れがあります。良い流れの時はその流れに乗って上昇していけば良いのですが、
悪い流れの時もあり、状況は刻一刻と変化していきます。

僕は、マルチタスクなところもあり、仕事をいくつか掛け持ちしているので、良いタイミングでその時にふさわしい仕事ができれば、良い結果を残せると感じています。年中、自由に仕事をしていると、次に何をすれば良いのかという直感みたいなものが浮かんできて、次から次へと工場作業のように課題をこなしていきます。

自分が今何をしたいのかということは肝心なポイントです。もちろん、それは理性的に判断して考えれば良いのですが、理性的に考えることには自ずと限界もあります。僕が大切にしていることは、自分の判断を他人に委ねないということです。他人に委ねた判断はそれが良い結果であれ悪い結果であれ、振り返ってみて反省する点が見つかることが多いからです。

ああすれば良かったな、こうすれば良かったな、というのは過去であるため取り返しのつかないことです。自分に裁量権つまり物事を行う権限があれば、全力を投入できるし、失敗したなと思ったら、その場で辞めることも可能です。

人生を生きるという意味では、人生には二つの生き方があると思います。誰かを主人にして生きるか、自分を主人として生きるか、という2つの生き方です。もちろん、一般的な判断では、誰かに命令されることなく、自分の判断で何事も行いたいと思うのが普通なはずです。実際、僕も誰かの指示より自分の決断で行動するほうが後々に良い結果が待っていることが多かったような気がします。

自分を主人とすることは良いことのように思いますが、実際は誰かの指示で物事をこなしたほうが考える必要がないという意味で楽ではあります。この例は少し極端ですが、企業に雇用されて従業員として働くか、自分で会社を起こして経営者として働くか。それぞれには良い点も悪い点もあり、それぞれの苦労がつきまとうはずです。

しかし、従業員であれば何をすればいいかはほとんどの社員が上司の指示どおり動けば合格点と言えるでしょう。もちろん、優秀な社員であれば、期待して指示された以上の結果をもたらすこともあるでしょうが、そういう人は経営者になっても生き残れる可能性は高いはずです。

誰のために仕事をするのかということは非常に大事であると言えます。社会人であれば、まずは何よりお客様のために働くのが第一と言えるでしょうが、ほとんどの人は自分にメリットがない仕事を進んで行うことはしないはずです。何が大事かは人それぞれです。社会人としては理想的と言えるお客様第一なのか、給料が良いからなのか、やりがいがあるからなのか、素晴らしい同僚や上司がいるからなのか。

僕の価値観ではこれからの時代は仕事を人生の大きな一部として捉えていける人のほうが有利に人生を進めるのではないかと感じています。人生を仕事とプライベートに分けるのではなく、仕事もプライベートの一部として生きる生き方です。これまでもそのような生き方をしてきた人は大勢いるでしょうが、仕事を苦行と思うのはもったいないです。

仕事は自分の人生を実り多いものにしてくれる土台であると考えられるくらいのほうがこれからの時代には強くいられるのではないでしょうか。僕も仕事には時間という課金を大量に投入してきたのでこれからも仕事で結果を出し続けられたら良いなと思っています。

みなさんも仕事を私事としてプライベートな時間と共有してみてください。しかし、それは僕の価値観であり、この話のはじめにあるように人生をどうするかは読者さん次第です。読者のみなさんが実り多い人生になることを願っています。ではでは。

web動画で情報発信して電子書籍で収益化する。頑張るで~!!Send information with web videos and monetize with e-books.

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渡辺だよ!!

電子書籍を執筆してみようと思っています。電子書籍について調べたら、また報告したいと考えてます。とりあえず、当ブログは同僚である読者さんへの報告書としていきます。

これからの時代、紙の本は流行らないかもしれないよね。街の本屋さんも経営的に圧迫されてるのか、どんどん撤退しているとニュースで知った。僕もブログを書いているからには本を出してみたいという願望があるのは不思議ではないよね?

まあ、そういうわけで電子書籍について色々調べてみるつもり。紙の本を出版しようとしたら、プロの作家でもない限り、費用を払う必要があるかもしれない。紙の本で自費出版しようと思ったら、結構費用が高そうだし、売れなければ完全に詰んだ状態になる。

それに比べて電子書籍は無料で出版できるみたいだから、少しずつ調べて執筆にとりかかっていきたいね。電子書籍でポエムを書くつもりはないけど、趣味の研究に関する本なんかをどしどし書いていきたい。

本を書くのは難しそうで初体験だけど、やっぱり何事も挑戦してみなければ、できるかどうかは分からない。執筆活動も上手く当たれば、それで生活していくことも可能かもしれないし、夢のある仕事だと思う。

現在、僕は比較的自由に時間を使うことが出来るから、鋭意取り掛かっていく所存です。結論から言えば、まだ電子書籍について調べるにも至ってません(笑)。

将来の選択肢を広げるという意味でも、紙の出版みたいに費用が掛からないのは、リスクが少なくて期待できます。やっぱり人間は成長しなければ、人生がもったいないし、自発的に行動することで奇跡が起きたら二度おいしいからです。

ちょっと、ブログのブランクが開いているから久しぶり感が出ているけど、ネット上での発信は主にワードプレスとyoutubeの二本立てで行こうと思います。そして、その活動の集大成として、活動記録を電子書籍で売っていきたいです。

この頃、渡辺はどうしているんだ?全然見ないではないかと気にしている方はほとんど皆無でしょうが、これからは意識的にブログを書きます。ブログの記事に動画も貼り付けてweb動画にして発信していきます。

web動画って新しいですよね。むしろ電子書籍の話だから、電子書籍に動画がつけられるかという問題もある。僕の見立てでは、記念すべき肝心な部分はブログであれ電子書籍であれ、改めて動画でとるのが効いてくるはずだと値踏みしています。

ああー、これからの人生。もう少しうまく生きていけるように工夫していきます。ネット上の発信媒体を集約してワードプレスとyoutubeの2本に絞り、濃厚な時間を生きたいです。

決してふざけているわけではないけど、ギャグというか、ユーモアあふれる話もしていきたいです。僕のこれからの人生を願って、読者さんとも共に勝ち道を歩いていければいいです。思ったことがあったら記事にする。さらに、電子書籍でまとめて収益化する。SNSの稼ぎ方としてはweb動画とその集大成としての電子書籍。なかなか新しいではありませんか。先見性があるでしょ?

というわけで、これからもよろしくお願いします。頑張っていきます。ではでは。